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“あのう、飛行機で一緒だった日本人だけど”と片言のポルトガル語で僕。電話の向こうで怪しんで暫し沈黙する彼。
サンパウロへ向かう飛行機の中で、新潟でプロのサッカーの選手をしているという男と隣同士だった。新潟アルビレックスという北信越リーグで得点王を取る活躍をする選手だ。サッカーの事はよく分からないが、同じくらいの年齢で気も合い仲良くなった。彼はブラジル人だが、おじいさんが日本人だし5年も新潟に住んでいるから僕のポルトガル語よりもましな日本語を話す。ルシアノ.イッキュウ.サトウ、名前は一休さんだけどイタリアの血が流れているのでお坊さんとは程遠い容姿だ。お互いポルトガル語と英語と日本語をごちゃ混ぜにした会話はとても面白かった。“家に遊びにおいでよ”と別れ際に連絡先をもらったけれど、まさか本当に連絡が来るとは本人も思っていなかったに違いない。彼は予定を合わせてくれて彼の実家で会えることになった。
そんな訳で初日はまずサンパウロから400kmばかり西に離れたバウルーという町の郊外に向かうことになった。400kmという距離はブラジルではあまり大した距離ではない。日本の高速道路以上の速さで移動できるから、せいぜい昼過ぎには着くかなと思っていた。しかし最初からつまずいた。エンジンの2箇所(ドライブシャフトとチェンジペダルのオイルシール部分)からオイル漏れを発見しサンパウロのバイク屋さん(RJR
MOTOS)にピットイン。その後も1箇所の漏れは止まらず気にしながら走り、バウルーのホンダ販売店にお世話になったけれど直らなかった。原因のオイルシールを交換するには何とクランクケースを割らないといけないという信じられない設計のお陰で、漏れの程度も深刻ではなかったこともあり交換は諦め、そのまま旅を続けることにした。距離の割りにとても綺麗と思って殆どチェックすることもできずに購入したバイク。後々どんどんと化けの皮が剥がれて手を焼かされることになるのだが、そんな事や、ぼろいバイクをメーターの距離を戻して厚化粧して売ることなど当たり前ということなど、この時はまだ知る由も無かった。
その後、従業員で片言の日本語を話す日系人のウエダさんが社長の指示もあり親切にもスクーターで先導してくれたお陰で迷わずに目的地ジャクーバ(Jacuba)という村に何とか明るいうちにたどり着けた。とても静かで住人みんながアミーゴの様な小さな村だった。