日本人宿と日本人旅行者


南米には時々日本人の経営する日本人宿なるものがある。遠く離れたこの地で暮らしていくことを決めた人はどんな人でどんな暮らしをしているのだろう。最南端のウシュアイアにも上野おばあさんの上野山荘という宿があると以前ここを訪れたことのある友人から聞いていた。“五右衛門風呂もあるしお婆さんも良い人だから絶対行ってみて”とのアドバイスにとても期待していた。
 南米では野良犬をよく見かける。ここもバイクを見ると狂った様に追いかけてくる放し飼いの凶暴な犬がたくさん居る町外れで、分かりにくい場所にあったけれど、峠で雪にも降られ体も芯まで冷え切っていたので、風呂の魅力に惹かれて執念でたどりついた。
 中に入って驚いた。パラグアイ以来見なかった日本人旅行者がたくさんいる。世界最南端の町で醤油の香る共同炊事場、日本語しか聞こえない空間というのは不思議な世界だった。その殆どは20代と思われる若者たちでバスや飛行機で旅行している。安くて最近流行っているらしい世界一周航空券で旅している人も多いようだ。大陸から大陸へ飛行機で渡り、町から町へ飛行機や夜行バスなどで移動し日本人宿に泊り、何処かの町で一緒だった日本人と再会し、日本食を料理し、日本人同士で行動する。そんな人が少なくない。旅のスタイルは人それぞれだけれども、彼等を見ているとどうも僕は違和感があった。僕がおっさんだからかも知れないが、会話も退屈するものばかりだった。彼等が将来世界で活躍する国際人になる姿は想像が出来ない。日本語で情報を得られる便利さや安心感は理解できるけれども、日本の空間をそのまま移動しているだけでは家の茶の間で海外の旅行番組を見るのとさして違いは無いのではなかろうか。僕の場合、もちろん言葉で疲れることはあるけれども、現地人や他の外国人旅行者などと会話するのは刺激的で旅の最大の魅力だと思っているし、そもそもバス旅行の情報などバイク旅行には殆ど役に立たないから敢えて日本人に会いたいとは思わない。名も無い街や道にこそ印象的な出会いや風景が待っていることが多い。だから夜移動するどころか瞬きをするのも惜しいと思ってしまう。

 結局五右衛門風呂は普通の風呂に取って代わっており、お婆さんも風邪で自室に篭り殆ど会話できなかった。暖かく快適な宿だったけれども、ここが最初で最後の日本人宿になった。