”ゆっくりとした”湖


パタゴニアにはアルゼンチン側の40号に平行してチリ側に7号線という道路がある。地図を見ると湖や川や山の合間を縫う道だし、所々海で分断されていて船で渡るというからとても旅心をくすぐられる。アルゼンチン側も魅力的な風景だとは聞いていたけれど、この辺りでは40号線は舗装されているから僕には殆どが未舗装の7号線に分があった。
 7号線に向かう265号線。断崖絶壁の険しいダート道からトランキーロ湖と雪を被った山々を右に見て走る。トランキーロ(Tranquilo)と言う名の通り“ゆっくりとした”スイスアルプスをワイルドにしたような絵のような風景だ。湖を覗き込むと光の届く限り青い水が透き通り吸い込まれそうになる。7号線に曲がっても素晴らしさは変わらない。道路地図に載っていることが不思議なくらいの狭い林道だ。自転車のグループ旅行をしている人も多い。ピンクや紫、黄色に白、色とりどりの花が咲き乱れる。馬に乗った現地人達と時々すれ違い挨拶をする。たまに現れる部落も素朴で素敵だ。何も手に入らないように見える小さな村でも人に聞くとパン屋があったりするが外見は普通の家だ。こんな村では誰もが何かを売っているような気がする。厳しい冬を過ごす家は外壁がこの地方独特のうろこ状の板で装飾されカラフルで楽しい。道は狭く景色は目まぐるしく変わる、まるで日本の山奥の林道の様だ。たまに車とすれ違うと埃を被って服が真っ白になる欠点もあるし、決して一般観光客向きのルートではないけれどとってもお勧めのルートだ。
 
テント場を探して枝道に入り、険しい山を一つ越えた終点にある湖畔の小さな村プエルトサンチェスに行った。村の入り口にかかる素朴な木の橋は大きな車は通れないから川の中にも道がある。村の住人は30人は居ないだろう。誰もが気さくに挨拶をしてくれる。気に入って小さな船を舫っているだけの“港”の前にテントを張る。氷のように冷たい湖に飛び込み、湖岸でワインを飲みながら日光浴を楽しむ。日差しは強く暑い。このビーチが愛おしくなり2日目の午後には湖岸のゴミ拾いをして焚き火をした。夕方になると村人が糸だけを持って釣りに来た。少女が手で小さな魚をすくって遊んでいる。満天の星。時間を忘れる音さえも無い世界。何も無いけれど心は満たされている。