アルゼンチン名物アサードとマテ


次の日もブエノスアイレスに向かう14号を南下していたが、あまりにも景色が変わらず単調で退屈なので途中の分岐で少し内陸に向かう127号へ進路を変えてみた。しかし交通量がますます減り舗装の状態が少し悪くなった以外は何も変わらなかった。パラグアイから南のパラナ川とウルグアイ川に挟まれたこの地域は湿地帯、牧草地、畑が永遠と地平線まで続く以外に何もなかった。ガソリンスタンドの間隔が長く、ガソリンタンク容量10リッターでは、全開で走ると200kmそこそこしか走らないので、ペットボトルにガソリンを積んで走ったり時速80km/hの我慢の燃費走行をしたり、それでも直前でガス欠して惰性でガソリンスタンドに飛び込んだりとヒヤヒヤさせられた。

この日はサンタフェからラプラタ川を少し下ったところにある街、ディアマンテ(Diamante)の国立公園内の川岸のキャンプ場にテントを張った。もうクリスマス休暇なのだろう。キャンプ客で賑わっていた。近くのテントの少年達と仲良くなり、彼らが釣った魚や米を焚き火で一緒に料理してご馳走になった。夜になると今度は明朝からカヤックで川下りをするという陽気でちょっとおかしな4人組が隣にやってきた。アルゼンチン人もブラジル人と同じく友達の閾値がとても低くて楽しい。直ぐに仲良くなりアサードパーティーに招かれた。
 アサードとは肉の大きな塊を豪快に焼いて食べるBBQのことで、ブラジルで言うシュハスコの事だが彼らはシュハスコとは全然違うという。ただ肉を焼いて食べるだけなのに何が違うのかは僕にはよく分からない。ただ美味い事には変わりは無かった。アルゼンチンでは殆ど毎日肉料理で、週末には仲間とアサード、という肉だらけの食習慣だ。そして日本人が緑茶を飲むように彼らはマテ茶というお茶を本当によく飲む。車でも飲むのでガソリンスタンドにはマテ茶用の無料のお湯が用意されていることが多い。マテ壷(マテ専用のカップ)からボンビーリャと呼ばれるストローみたいなもので吸うのだが、家族や仲間同士で飲むときはこれを回し飲みするしボンビーリャもそのまま使いまわす。一人が飲み干すと黙って親に返して親はお湯を入れて次の人に渡す。これをぐるぐると繰り返す。もう要らないときに初めて親にグラシアス(ありがとう)と言うのだ。日本で言えば“同じ釜の飯を食った仲間”というところだろうか。マテを差し出されたら仲間に入れてもらったと思えばよいし、嫌いな上司と飲むことを拒否するという話も聞いた。街で売られているマテ壷は木の実をくり抜いたもの、アルミの加工品などなど色んな種類があり、その装飾は芸術作品の様で見ているだけで楽しい。

 翌日は朝から気分が重かった。セルモーターが廻らずエンジンがかけられない。昨日まで元気だったバッテリーが突然死んでしまった様だった。押しがけを試みるも初爆が全く来ない。日も昇り始めて汗だくだった。どうやらこのバイクはバッテリー点火方式の様だ。プラグに火を飛ばすための電気をジェネレーターから直接もらうのではなくバッテリーからもらう仕組みなのでバッテリーの電圧が低くなりすぎると押しがけでもエンジンはかかりにくくなる。周りにいた少年達を集めて押してもらい、暫く試したがかからず、諦めかけたときに突然エンジンが目覚めてくれた。
 エンジンをかけたまま荷造りをしていると昨日の晩を一緒に過ごした少年達が集まってきて汗だくの僕の為にテレレ(冷水で作るマテ茶)を作ってくれて皆で回し飲みした。彼らの好意は貴重な旅の思い出になったが、彼らにしても東洋から来たバイクに乗る旅人は好奇心をそそったのだろう。3人のマテ仲間はバックミラーから見えなくなるまで手を振って僕を見送ってくれた。