ユバ農場


 ブラジルは州で分かれているから、州を越えると雰囲気が変わる事もある。マットグロッソデスル州で最後に泊ったアグアクラーラ(AguaClara)は小さくまとまった村で物価が安かった。エアコンつきの綺麗なホテルが30レアル。通りのレストランでは米、フェージョン、マンジョッカ、焼肉、などが付くブラジルの一般的な料理が5レアル。安いという事は所得も低いという事。食事をしている時に物乞いが来たり、通り沿いの歩道には浮浪者がたくさん寝ていたし、近くの街道沿いには時々バラック小屋で生活する小さな集落を幾つも見た。大きなパラナ川(RioParana)を渡りついにサンパウロ州に入ると道路は片側2車線のサトウキビ畑などが広がる見慣れた広い道になる。州の財政が良いのだろう。町もやや立派に見える。

サンパウロ州に入ったらミランドポリス(Mirandopolis)という町の近くにあるユバ農場という日系人の農場を訪ねてみようと思っていた。アルゼンチンのライダーハウスGAMAに居たとき、滝野沢優子さんという日本女性の書いたオートバイ旅行の本が置いてあって何気なくパラパラめくっていたらその農場の事が紹介されていた。1935年に弓場勇さんという日本人を中心として、新しい文化の創造という理想を掲げて創設された歴史ある農場だった。興味を引いたのは、現地化が進んでいるブラジル日系社会の中でいまだに日本語で、しかも集団生活しているという点だった。本には旅行者も泊めて頂けるような事が書いてあった事だけを覚えていて、いつものように何の連絡もせずにちょっと覗かせて貰おうくらいの軽い気持ちでいた。人に聞きながら近くまで来ると、道の名前に先ず驚いた。“キタハラチカゾウ”。その舗装道路から“ユバ集落”と書かれた看板を赤土の道の中に右に降りて行く。集落の庭に出ると、何となく見覚えのある風景のような気がした。食堂の風景を見てそれが何だったか思い出した。1年くらい前だっただろうか、日本のNHKテレビで日本語で生活する日系ブラジル人集落の番組を見たが、その中の風景だった。

ユバは農業の傍らでブラジルでは有名なバレエ団という文化活動の顔を持っている。集落の中には劇場があり、毎朝おじいさんの弾くピアノの音色が聞こえ、夜にはコーラスの声が響く。ここでバレエの指導をしている明子さんというバレリーナの女性の話すとても礼儀正しく上品な日本語の応対にちょっと面食らった。“予約はされていますか?”と聞かれて安易に来てしまった事を恥ずかしく思う。しかし“多分ベッドは空いていると思いますから部屋の掃除の担当の方が帰ってくるまで荷物を降ろして待っていて下さい。”と平然とした様子で歓迎して頂いた。
 ここでの生活はとてもユニークだ。全てが個人の為では無く、皆のためにある。60人くらいの日本人が共同で農業をし、共同食堂で3食を共にし、日本の銭湯の様な共同浴場に入る。初めて見る洗濯板や釜戸での料理作り。殆どの食材、米、野菜、果物、豚、牛などを自給自足し、日本の伝統的な食材、味噌、醤油、豆腐、梅干なども全て自家製だ。食卓は日本の都会の家庭のそれよりも遥かに日本的だ。食事の時間になると角笛が吹かれ、ぞろぞろとそれぞれの家や仕事場から食堂に人が集まる。“黙祷”の合図に1分間目を閉じ感謝の祈りをしてから食事になる。明子さんに紹介され、挨拶をすると拍手で皆に歓迎して頂いた。この日はたまたまパスコア(イースター復活祭)で子豚の丸焼きやシュラスコという大御馳走にありつける幸運に恵まれた。“豚を殺す時はね、囲いの中でジッとナイフで刺すタイミングを見計らっているんだけどね、相手も殺られるって分かってるんだよね。だから苦しまない様に心臓を一突きするんだよ。そしたらスッと魂が抜けて倒れるんだ。”と笑いながら殺した豚の腸に血や肉を詰めてチョリソソーセージを作っている陽気なヒョウさんが教えてくれた。みんな小さい頃からそうして命や食の重みを理解している。

ここまでは部活の合宿生活の様だが、決定的な違い、ユニークさは、基本的には個人が金を持たないという事だ。農業の収入はコミュニティーのものになり財産は共有される。“金の貸借関係が人間関係を悪くする”という創設者の考えが今も引き継がれている。金こそが世の中で唯一意味のある指標の様に思われるようになってしまった悲しい現代社会に、人の事を思いやる生活に絶対の価値を見出している人達がいること、1週間の短い滞在だったけれどもそんな人達の心に触れられたのは心の救いになった。救われたのは僕だけではない。世界を放浪して流れ着いた人、ユバの人と結婚して移り住んでいる人、気に入ってリピーターになっている人。ユバには人を引きつける現代社会には無い強い魅力がある。しかし同時に、ユバは若者の流出や日本社会を維持する事の困難という問題にも直面しているらしい。いくらユバが素晴らしいとは言え、一度は他の世の中を見てみたいと思うのが若者の常であるし、消費社会やブラジル社会という現実にも上手く付き合わなければならなくなるのだろうか。リーダーのツネさんはじめ皆さんさぞ頭を悩ませているに違いない。この難局をどんな形でも乗り越えて、次代に僕が経験させてもらったような感動を少しでも長く、願わくはいつまでも伝える存在であり続ける事を心から祈っている。

ユバのサイトhttp://www.brasil-ya.com/yuba/