はじめに


  1997年の夏、2人の仲間とイタリアから日本まで、ロシア、シベリアをオートバイで横断しました。未だインターネットも、デジタルカメラも、今は完成したシベリア横断道路も無かった時代。自由旅行が許されて居ないロシアに悪戦苦闘の末フィンランドから闇ルートで入国。警察の目を盗み、闘い、拘留されたりしながらも自由旅行を続け、道路の無かったシベリアでは湿地帯に苦しみ、シベリア横断鉄道の線路の軌道を走り、命がけで鉄橋を渡り、川を渡り、泥濘地では郵便列車に交渉の末違法に乗り込み、そしてそしてヨーロッパ各地で歓迎され、モスクワでシベリアでたくさんの素晴らしいロシア人に出会い、そんな映画スタンドバイミーさながらなバイク旅行、いや冒険をしました。

 当時会社員だった私に休暇を許してくれた会社、準備に協力し快く送り出してくれた職場の仲間、イタリア、スイス、ドイツ、ロシアで旅をバックアップしてくれた人達、スポンサーを買って出ていただいた個人、会社に対し、出発前の挨拶、そしてお礼として簡単な企画書と報告書を書きました。それが今回ここに掲載するものです。ですから南米旅行エッセイとは随分と文体も違い、公の文章にはしにくい様な面白い出来事などは殆ど書かれていない堅苦しいものですが、ソ連邦の面影の残っていた時代のロシア、今尚未知の世界のロシアのささやかな情報として読んでいただけたらと思います。
 今だったらもっと面白おかしく書くのになあ、とか、あのエピソードやこの話も書きたいなあ、写真もデジタルで載せようかと思うのですが、それはまたの機会に。
 
 借りていた大学の奨学金をようやく返し終わり、この旅行の為に会社に内緒で休日にペンキ塗りのアルバイトに励んだ思い出。先輩から借りていたバイクでそのアルバイトに行く途中に土手道から落っこちてバイクの修理代稼ぎにさらに汗を流した思い出。貯金を使い果たしてロシアから帰って来た月の給料が673円。それなのにレースの為のガソリン代を捻出するために部屋の電化製品や本を売りに行った思い出。
 これを書いていて当時を懐かしく思い出すのと同時に、あの頃の無鉄砲さには戻れないと思う大人になってしまった自分への悲しさも感じてしまったのでした。大人って怖いものですね。

 以下は当時の文章です。