支援について


被災地の外に居る我々多くの一般人は不足している物は何だろうか、そんなことを考える。そして物や金を送る。確かに支援物資が最優先される時期があった。しかしそれも変わってきている。もちろん今も無いものばかりで喜ばれる物もたくさんあるけれど、人命に影響する心配は少なくなっている。東京のコンビニではおにぎり、菓子パン、水などが暫く品薄だったと聞く。しかしレトルト食品などファーストフードを食べる習慣の少ない年配者の多い漁村では裏山の野菜などで美味しい田舎料理が避難所でおかみさん達によって工夫して振舞われていた。だから役場に届いた大量のおにぎりや菓子パンは、賞味期限がきれてからも1週間くらい役場職員やボランティアの昼食になった。やがてどうしようもなくなり捨てられた。綺麗な沢水が豊富な雄勝町ではペットボトルの水は余りがちで、僕が帰るときにお土産に渡されたほどだった。もしかしたらそれらは義援金でどこかの団体が送った物なのかも知れない。この混乱の中で効率を求める方が間違っているのかもしれないが、どうも支援が現場と噛み合っていなかった。多分今後こうした支援は、ボランティアよりも地元を知る行政と資金と指揮権を持つ国など大きな団体が組織だってやるのが効率良いのではないだろうか。

はてそれよりも被災者が今強く求めているものがあった。それは避難所を出たあとの住と職、そして心の癒しだった。僕ら一般人にできることは癒しだけだ。それも中村さんの言葉を借りれば、“ただ耳を傾けるだけ”だ。

では日本全国の人が世界中の人がボランティアで被災地に話を聞きに行くべきか。僕はそうは思わない。そんな事をしてもただ現場が混乱するだけだ。

今回色んな場面でボランティアについての考え方に触れてきた。正解は無いし、1010色の考え方で良いと思う。だからこの時期に誰かの考えに異を唱えるつもりもないし唱えられることも求めていない。けれど今の僕なりの考え方を最後に書いておこうと思う。

行った人、募金を多くした人が偉い、慈悲ある人というものではない。そう言う考え方は自己満足に過ぎない。そもそも英語のボランティアと言う言葉が僕には馴染まない。施しをするという高慢な匂いが感じられるからだ。日本語にすれば奉仕家だろうか。しかしそれもあまりしっくり来ない表現だ。何故なら、地域の中で協調して共生する日本の和の文化では、それは当たり前のことで言葉にする必要も無かったからだ。

僕の住む地域から遠く離れ、縁の薄い東北は、当初阪神、スマトラ、四川同様に対岸の火事だった。僕はたまたま切っ掛けがあり、余裕があったから行くことになっただけだ。地球上全ての災いに関わることは誰にもできない。だからどこかで線を引かなければならない。身の回りの人が巻き込まれたりして、或いは自分で決めなくても僕のように何かの因果で関わることになる人もいるだろう。そんな時に気負わずに力を出せばよいのではないだろうか。直接関わらないのであればせめて個人主義に走って足を引っ張らず、日本人の持っている最大の美徳である和の心を大切にする。それくらいのスタンスで行こうと僕は思っている。

アメリカのハリケーンカトリーナの際には殺人、レイプ、略奪が横行したと聞く。今欧米で最も驚かれているのは冷静で協調して生きる日本人の姿なのだそうだ。それこそが和の心だ。雄勝町、東北は絶対に立ち直れるだろう。

   2011年4月19日