洪水による孤立


 この日は1日中雨が降り、蒸し暑くじめじめしていた。ホテルの部屋に置いた荷物に、アリよりずっと小さい初めて見る虫が、アリの様に大量に列を成して這っているのを見たときには面白いのと同時に気持ちも悪かった。

 今話題になっている地球的規模の気候変動はここボリビアでも起こっているのだろうか。近年上流に大雨が降ることが増え、年々洪水の被害が拡大してきているらしい。話によると、ここから西に向かう首都ラパスに抜けるボリビア随一の幹線道路の橋が前日洪水で流され、東のブラジルに抜ける道も水没している可能性が高いという。要するに陸の孤島になったかもしれないという事。

 この日移動するのは諦めて再びホテルへ戻る途中に、朝寄ったバイク用品屋にこの旅ようやく2台目となるヤマハの旅行者のバイクが停めてあるのを見た。しかも仕事でつい最近まで頭を悩まされてきた発売されたばかりのXTZ250というブラジル製のモデル。気になって見に行くとブラジルヤマハの事務所があるサンパウロのグアリューロス市のナンバープレートが付いていて更に驚いて店に居た持ち主のブラジル人に話しかけた。彼は2台でペルーのマチュピチュへ向かう旅の途中、僕がこれから向かおうとしているブラジル方面の道で洪水にはまり、1週間泥と格闘しても前に進めず、最後にはクラッチを焼ききって進めなくなり、列車に載せてここへたどり着いてクラッチを買いに来たところだという。

 彼が経験したのは僕が昔ロシアのシベリアで経験したのと殆ど同じ状況だ。シベリアでは僕ら3人はイタリアで買ったヤマハTT600Eという同じバイクに乗っていたので、僕が駄目にしたクラッチプレートとフリクションプレートを3人のバイクに均等に分配して復活させるという手品を使った。しかし今回は一人だからそこまでのリスクは背負えない。シベリアでは結局湿地帯で進めなくなり1日1本通るシベリア鉄道の郵便列車が小さな村の駅に5分間停車する隙に車掌に賄賂の交渉をして違法に紛れ込む計画を立てた。初日は貨車の高い荷台に3台のバイクと荷物を5分で載せることが出来ず途中で断念し、二日目に友人の思い付きで村人にアルバイト代を払って全て載せきる荒業をやってのけた。これもやっぱり今回は一人だから厳しいだろう。そもそもそういう博打は本当に窮地に陥った最後の瞬間にしか実行に移す勇気が沸いて来ない。

 残された唯一の道はここから正規に手続きを踏んで列車に載せるだけなのか。でも出来れば全工程を自走で走りぬきたい。地図を見るとサンタクルスの東を流れる川リオグランデ(RioGrande)の向こうを北に大きく迂回してブラジル方面に抜ける道があった。情報を集めていると、“前日にそのルートを通ってブラジルの盗難バイクを運んできたトラックがある”という話があったので、そのルートに望みをかけた。リオグランデを渡るにはサンタクルスの東に架かる鉄道も通る鉄橋を渡るルートが無難だけれど、サンタクルスの北から小さな船で渡ることも出来ると知って迷わず旅情のある船のルートに向かった。
 しかし船着場まで残り数kmまで行って夢は崩れた。トヨタの4WDトラックが泥の中でスタックしている。廻りの男たちが押し出そうと泥だらけになって頑張っているがびくともしない。泥水は流れさえあって川が氾濫しているのだと分かる。僕のバイクも泥水の中の深みにはまって身動きが取れなくなった。頑張ればもう少し進めるだろうと思ったがシベリアの経験を思い出して思い留まった。クラッチを労わりながら近くに居た男に押してもらって手前の道路に抜け出した。
 村人によると水位は確実に上がってきていて流域の畑も壊滅的な被害を受けているという。望みをかけていた対岸の迂回ルートも一部が水没し、最後の切り札の列車も止まったという話も聞いた。万事休す。