ウユニ塩湖


世界的に有名なウユニ塩湖はその名の通り塩で出来た湖だ。海底が隆起して干上がって出来たもので地平線まで見渡す限り塩、塩、塩。東京都の5倍以上の面積があると言ったらその広がりを想像してもらえるだろうか。
 乾季には湖面は完全に干上がり、車はどこを走ろうが自由自在だけれども、塩湖へ近づく道は限られるのでボリビアの道路地図には大まかなルートが点線で示されている。
 雨季には湖岸は水の帯で覆われるから、ウユニの街からの観光ツアーのランドクルーザーや塩の積み出しのトラックは水位の低いルートを狙って塩原に渡る。
 雨季が丁度終わったこの季節、僕は湖の南のルートから入ろうと近くの村へ行ったけれど、水位が高すぎるという村人の情報で諦め、ウユニの街で再度情報収集して東側から入ることにした。
 水際にバイクを停めて歩いて深さを探り、ツアーのランドクルーザーが来るのを待ってルートや水に漬かる深さを参考にしてから渡った。そこは深さ最低30cmくらい、幅は数百mの塩水で覆われていた。川渡りと違って流れは無いし大きな石でハンドルを取られることも無いから技術的には簡単だったけれど、一面の塩水の中で転んだり塩水でバイクが故障することを考えると慎重にならざるを得なかった。渡りきってからの方が難しかった。水分を含んだ塩の上は丁度シャビシャビの雪道を走るのに似ていて、スピードを上げると滑ってハンドル操作が効かなくなり路面に対応できず、逆に遅いとハンドルをとられて転びそうだった。

塩を採掘するのは当にこんな場所が適している。シャベルで掬って山を作り、乾いてきたところでトラックに載せる。恐ろしく古いトラック達が何台かとまっていた。こんなに気が遠くなる量の塩を見ると、今後スーパーで買う塩の有難みが薄れてしまうかもしれない。

地面もやや締まってきたあたりに小さな塩のホテルがある。壁、柱、ベッド、テーブル、椅子、全て塩のブロックで出来ている。ここで思いがけず久しぶりに若い日本人旅行者の団体に会った。個人や小さなグループで旅行しているが、ウユニの街のツアーで一緒になってここに泊りに来たらしい。ここは湖の中央にある“島”へ観光に行くツアー客の休憩場所にもなっていて数台のランドクルーザーが停まっている。フランス人グループ、アルゼンチン人グループ、などなど。一人だけ爪先から顔の髭まで塩で真っ白になっている僕は、観光客、ガイドのボリビア人や宿のおばさんにまで大笑いされて一躍ヒーローになった。

 そこから先の”島”までは塩は岩盤に変わり、真っ白い世界を時間の感覚が無くなるまでアクセルを開け続けるだけだ。しばらくすると地平線から表れる小さな“魚島”は大きなサボテンが群生する奇怪な光景だ。

あまりに非日常的な景色で楽しかったので戻る途中の塩湖の真ん中でキャンプをすることにした。風も音も何も無い塩原に美しい夕日が沈んで行く。夜、遠くの空が時々明るくなる。雷だろうか。空からは星が降ってきそうだった。泊る予定ではなかったので食料はビスケットとコーラしかなかったけれど、十二分に贅沢なキャンプだった。雪の上に居るように見えるのに日中は気温20度前後で暖かく奇妙な感じがする。しかしさすがにここは標高3660m。夜は冷え込みテントの中でも朝方5度を記録した。

翌日ウユニの街に戻ると一仕事が待っていた。バイクは真っ白になっていて、エキパイにはまるでレンガの様に焼けた塩の塊がこびりついている。多分洗っても錆が出るだろう。既にニュートラルランプが塩水でショートして誤点灯している。次の日には走行中の電気系トラブルによるエンストにも悩まされた。間違いなくこの旅はどんなバイクメーカーのエンジニアも想定していない世界でもっとも過酷な塩害テストだろう。洗車屋さんで洗ってもらい綺麗なホテルに部屋を取った。
 ホテルでは日本人の若者達が長々と流しを占拠して洗濯をし、宿のおばさんに再三“水を使いすぎる”と怒られていた。サボテンが生えている土地なのだから水は貴重品だ。僕も昔オーストラリアを旅したとき、宿の人に“この国は水が貴重な国だから食器は流水で洗わないでね”と注意されたことがある。オーストラリア人とカナダ人の見分け方はシャワーの時間、という冗談があるくらいだ。飲み水を買うことなど信じられなかった子供の頃に比べると日本の水道水への信頼は随分と下がったけれども、それでも世界の水に比べればずっと安心で豊かにある水。日本人はその有り難さをもっと知っても良いだろう。

 街へ出ると既に午後になっていた。塩のホテルで見たフランス人グループに出会うと、彼らは僕の塩湖旅行の成功を喜んでビールをご馳走してくれた。BMW2人組のコロンビア人ライダー、イギリス人自転車旅行者などとも出会い、久しぶりの賑やかな夜。一人の静かな夜のあとは特別にこれが嬉しい。