秘境温泉


arvarcoの部落を過ぎると道幅も車1台ようやく通れるくらいに狭くなり、山肌を這う曲がりくねった道は落ちたらお陀仏なところばかりだ。車の轍もやや心細く、やはり道は通じていないのではと思い始めた頃に道端に温泉を発見した。誰もいない山の中に、廻りに転がっている岩で組んだ小さな湯船がひっそりとあるだけだった。民家どころか脱衣所も無ければ何も人工的なものは無い。どうやらそこが目的のAguasCalientesだった。雄大な山が夕暮れに色を変えていく様子を見ながら、透明で日本の温泉くらいの快適な温度の湯を独り占めした。朝、テントから出ると直ぐに素っ裸で温泉に入った。目の前は道路だけれども昨日からまだ車を見ていない。やっぱり温泉は水着なしの日本式の方が気持ちが良い。旅で会ったスイス人は湯船には1年に1回入れば十分と言っていたけれど、こういうところに来ると日本人で良かったなあと思う。

 昼ごろ出発準備をしているとボロボロの古いアメリカ製トラックがやってきた。運転席の2人だけかと思ったら荷台の幌の中から子供から爺さん婆さんまで家族がぞろぞろと出てくる。陽気な人達で、近くの村から日帰りの家族旅行に来たのだと言う。おもむろに子豚の塊肉を取り出し、足をロープで縛って近くの大きな岩からぶら下げて干す。これからこれをアサードにして食べるからお前も一緒に食べていけと言われて甘えることにする。ビールをもらい、焚き火のスモークで豚を燻製にし、思いがけぬアサードパーティーを楽しませてもらった。午後になり僕が出発を告げると、おばあさんが残った肉や大きなパンの塊を僕の荷物に詰め込んでくれた。出会った時からお別れまでいつも自然でさりげなく、あまり人の事を気にしないように見える南米人。それなのにやっぱりどこかで見知らぬ旅人を気遣ってくれる。この微妙な距離感と優しさは南米ならではのもので、とても清々しく心地よい。

 道はいよいよ荒れて遂に川に阻まれた。川の向こうにも弱々しく道のような跡が続いているが最近通った形跡は無い。バイクを降りて歩いて渡ってみた。水は冷たく予想以上に流れはきつく、川底は大きな石がゴロゴロ、踏ん張って歩くのが精一杯だ。パンツまで濡れた。キャブレターぎりぎりの高さまで水に漬かる。ここが日本の勝手知った山で、捨てても良いバイクだったら挑戦したかもしれないけれど、地球の果てのような所でやるにはリスクが大きすぎた。

 無念の撤退をして温泉に戻ると、アルゼンチン家族は居なくなっていたがCopahueの無人の温泉で僕の隣でキャンプしていたスイス人夫婦に再会した。歳は50代くらい。最初の出会いも特別な場所だったけれど、こんなところで再会するなんて彼等も相当な変わり者だ。驚くことはたくさんあった。彼らの家はドイツのトラックメーカーMANの4WDカミオンで、後部を専門のモーターホームメーカーで専用設計されている。地球上をどこでも快適に旅できるように作られた戦車とホテルを組み合わせたような城だった。僕の洗濯物を乾燥機で乾かしてくれたのには腰を抜かした。EUのナンバープレートは回転式になっていて、裏返すとアルゼンチンナンバーに変わる。アルゼンチンのガソリンスタンドでは外国ナンバーの車には倍の値段を請求するらしいので拾ったナンバーを取り付けたのだそうだ。まるで映画のキャノンボールみたいだ。スペインで拾った犬はパスポートも持っていて一緒に旅をしている。何と言う贅沢な犬なのだろう。彼らは8年間モーターホームで世界を旅している。旅と言うより、そういうライフスタイルを送っている。夕食に招待されてご馳走を頂いた。歳をとったらこんな旅も悪くないかもしれない。