言葉と心の壁


ブラジルの友人の事や旅のことを日本の知人に話すと“ポルトガル語やスペイン語喋れるんだね”と言われる事がある。残念ながら延べ4ヶ月のブラジル出張の後でも未だほんの片言しか喋れなかったし5ヶ月旅行した今でもせいぜい2歳児なみにしか喋れない。でも言葉の分からない国をたくさん旅したことがあるし英語も分かるので不安はあまり無かった。特に南米に関しては殆ど無かった。南米では英語はほとんど役に立たないにも関わらず。

2005年12月、仕事で初めてブラジルのサンパウロと熱帯の都市マナウスを訪ねた。サンパウロでは1ヶ月間、郊外で20人前後のブラジル人アルバイト達を指揮してある作業をした。作業初日にブラジルヤマハの事務所から日系人が通訳に来てくれたが、残りは自力で進めなくてはならなかった。その時知っていたポルトガル語は昔NHKの大河ドラマのエンディングにあった“オブリガード(ありがとう)”だけ。仕事は速さと正確さを要求されるものだったから、もう身振り手振り形振り構わずコミュニケーションに必死だった。言葉が通じない分、実際に見せて覚えてもらおうと皆と一緒に汗を流した。日本では当たり前の事だけれども、エンジニアは綺麗な事務所でパソコンに向かうだけではなく、現場で油まみれになったり危険な仕事だって自分でする。でもこちらのホワイトカラーは殆ど汚れ仕事をしない。階級社会なのだ。だから床のごみも自分で拾う日本から来たエンジニアは何者なのだろうと好奇の目で見られていた事を後で知った。そして直ぐに“アミーゴ(友達)”と声をかけられて心の距離が縮まって仕事がうまくいった経験がある。
 実は1998年フランスで全く同じような状況で仕事をしたことがある。フランスでは英語を話す人も少なくないので仕事はもっと楽に進められた。でも心の距離を縮めるのは言葉の分からないブラジルの方が遥かに速くて簡単だった。

僕は2つのことを確信している。1つは、人が思っているほど言葉は重要ではないということ。もちろん言葉が分かるほうが100万倍良いに決まっているけれど、言葉はわかるのに会話する中身のない人を見るのはエンジンが無い車を見るように虚しい。もう1つは南米の人はコミュニケーションの天才だということだ。