ルールとマナー


船から見る陸に地図の上には道路さえないようなところにも所々小さな部落が見える。船首甲板に上り裸で寝転びながらそんな景色を眺めていた。船首甲板なんぞ日本の船会社だったらきっと立ち入り禁止になっているところだろう。
 責任責任と会社や大人、社会が訴えられること、叱られることを恐れて戦々恐々とし萎縮している日本人。廻りの迷惑に成らないだろうか、自分は人からどう見られているのか、どう思われているのか、廻りの目をいつも強く意識して生活している日本人。それらは社会の閉塞感に繋がる一方で日本人の美徳でもある。

 ここ南米には少なくとも閉塞感は無い。社会のルールやマナーの感覚は随分違うこともある。日本ならば人前でキスをする事はおろか、田舎に行けば男女が手を繋いで歩くことすら恥ずかしい雰囲気すらあるが、南米ではハグは愛情を伝える礼儀正しい挨拶だし公共の場で抱き合っているカップルを見るのは珍しくない。この船でも客のカップルが操舵室に入っていちゃついていたが横で舵輪を握る船長は気にする様子も無い。
 時には本能の趣くままに、無秩序に思える出来事に初めのうちは戸惑いも多い。例えばブラジルでは使用済みの避妊具が散乱するビーチを見たことがある。大きなスーパーマーケットに行くと、床にゴミが散らかっていてレジの周辺や通路に商品が無造作に投げ捨てられている光景を見ることがある。買おうかと迷ったけれども止めた商品を元の場所に戻さずその場に置き去る。それくらいは序の口で、通路でサッカーをする子供や食べかけのお菓子の袋や飲み終えたビールの缶を見ることもあった。

 安易に南米の文化が素晴らしい、日本の文化が素晴らしいと言う事は出来ない。世界どこにでも馴染んでしまう自分とどこにも馴染めない自分が同居している。

 Hornopirenは小さな村だった。それでも想像以上に人は住んでいる。次のフェリー乗り場RampaPuelcheはキヨスクが1軒あるだけだが、小さなフェリーが頻繁にLaArenaに向けて出ていた。その先はいよいよ待ちに待ったバイクの修理やタイヤなどが買えるバイク屋があるであろう大都会プエルトモンだ。