たくましい自転車旅行者達


パタゴニアには自転車旅行者も少なくない。多くは一部の自然の綺麗なおいしい区間だけを楽しんでいるけれど、極稀に南北アメリカ大陸縦断や世界旅行をしている人も居る。僕も自転車旅行が好きで日本の中も海外も色々走り回ったけれど、南米全体を旅する勇気は今のところ沸いて来ない。果てしなく続く不毛の道、灼熱の平原、オートバイでさえ大きすぎる大陸なのに自転車の苦労は想像にあまる。道中出会った自転車旅行者、アメリカ人女性とエクアドル男性のカップルの女性の方が、真っ黒に焼けすぎて皺だらけで年齢も推測できない顔に笑顔を浮かべて言っていた。“南米の自転車旅行はね、趣味というか一種の仕事みたいなものなのよ。毎日義務感で走ってる感じね。”そしてゲラゲラ笑っていた。バイクや自転車で一人旅をする女性は殆ど居ない。世界を探せば居るらしいが僕は見たことが無い。狩人としてのオスの遺伝子が男を旅へと駆り立てると思うのだが、彼女は彼氏と一緒とは言え、男よりも男らしい女だった。

チャイテンを離れて40号に戻り北上する道は未だ舗装されていない。交通量もいよいよ無くなり、荒涼としたうねる原野を遠くの山の陰まで道が伸びている。その山の向こうに行ってもまた同じような道が永遠に続く。今日はどの町にも着けそうにない。キャンプ場で出会った北から南下していたファルク達ドイツ人が、これから北に上がる僕に情報を教えてくれた。“1日走った距離の辺りに道路工事の労働者達の基地があるからそこに泊めてもらえるし暖かい食事もご馳走してくれる”と。なるほど丁度その日を終えようかとテント場を探しはじめた時に道路工事区間がはじまり、やがて聞いていた宿舎が見えた。そしてそこで向こうからやってきた自転車の青年に出会った。お互い立ち止まり“今晩どうする?”と形ばかりの相談をしたが、お互いに最初から同じ事を考えていた。2人で工事事務所に泊めてもらうお願いをしに行った。聞いていた通り快く中に通され、工事人用の2段ベッドが2つ置いてある小さなタコ部屋に泊めていただけることになった。食堂で食事を配給してもらう如何にも労働者らしい風情の50人くらいの人達の列の最後に申し訳なさそうに2人で並ぶが、彼らも料理人も僕達に気を留める様子もなく自然に受け入れてくれる。部屋に1人住むホルヘはとても親切ないい奴で僕らを喜んでもてなしてくれた。遠く北のメンドーサ地方から単身赴任で出稼ぎに来ているという。寒さと風がしのげて温かい食事まで出る環境に僕らは楽園を見ていたけれども、家族と離れてこんな所で長いこと過ごす彼らは寂しく退屈に違いない。

その自転車の青年はボルハと言い自分の事をスペイン北部のバスク人だと言う。スペインのことは詳しくないが時々本に出てくる話によればスペイン人とは別の人種でバスク語という全く別の言葉を話す人達でスペインからの独立を求める運動もあるところだ。彼の雰囲気は明らかに僕のイメージするスペイン人とは違った。言葉は多くないがしかしそれぞれの言葉が深いところから考え抜かれて出てくる感じがした。何か日本の侍が持っていたであろう様な雰囲気、バスク人の誇りを感じさせるようなオーラがあった。僕はそんな彼が気に入ったし、お互いに通じ合うものがあった。彼はとても疲れていた。笑顔が少なくしばしばため息をつき僕にもう疲れたのだと言って自分の弱さをさらけ出す。憔悴し切った顔には深い孤独感も刻まれている。今日も激しい向かい風や凸凹の道に悩まされたらしい。それだけなら他の旅行者と同じだから何と言うことも無いが、もう5年間も家を離れて世界を旅しているのだ。ウシュアイアで旅を終わりにすると言うからあと遅くとも数週間で終わりになるはずだったのに、その勇気すら失いかけていた。お金が無いからウシュアイアでヨーロッパまでの貨物船を探すつもりだと言うし、彼の自転車のかつて歯車だったギアは磨り減ってただの丸になり残されたギアは1枚しかなく、ブレーキは効かなくなっていた。何かしたくても僕は彼を励ますことしか出来ない。

 その後走りながら時々彼の事を考えていたので数週間後に彼から無事にウシュアイアへ着いたとのメールをもらった時は嬉しかった。“タカシ、君が励ましてくれたお陰で諦めずに5年間の旅のゴール、ウシュアイアに着くことが出来たよ。君に出会えてとても幸せだ。どうもありがとう。”自らの意思で5年間も孤独とペダルと闘う日々。僕は彼ほど強い男を殆ど知らない。