ブラジル人ライダーと川端康成


ウシュアイアのヨットハーバーでブラジル人バイク旅行者フィル(Phil)と知り合いになった。ブラジルのナンバープレートを付けて後ろには交換用のタイヤを縛り付けているスズキV-stormを見つけた。同郷の仲間を見つけた様な気分で嬉しくなって僕が声をかけたのだ。
 夕方に彼と待ち合わせをして一緒に国道3号の終着点、つまり南米の道路の一番端っこへと向かった。道は舗装されておらず、観光客は皆この終着点を目指すので砂埃が立ちこめて快適とは言えなかったけれど、ここまで来たら終着点を見るのは人間の悲しい性、義務みたいなものだろう。美しい入り江にその終着点はあったが駐車場と遊歩道がある作られた場所で案の定大した感慨は無かった。
 
彼は実業家でヨットも持っている。バイクも僕のより遥かに速くて大きなものだ。僕と同世代の息子も居るという。一見僕との共通点はブラジルからオートバイで旅行している事くらいに思われた。しかしこの凸凹コンビは、それぞれのペースを守りつつ一緒に走ったり食事をしたりして4日間断片的に行動を共にした。すれ違ってきたバイク旅行者の殆どは二人組み、それ以上の複数のグループ或いはタンデムのカップルだったしブラジル人が一人で旅をするというのは僕の経験の中ではとても珍しく興味深かった。
 確かに彼は変わっていた。川端康成の小説が好きで、その中の日本人の和の心が好きなのだと言う。まさかブラジル人で川端康成を読んだことがあり、尚且つその良さを理解することが出来る人が居るとは思わなかった。川端康成という名前は日本では有名だけれど、小説の中身は日本人にさえ難解なのに。彼は会話の中から僕の中に古い日本人の気質を感じるのだという。確かに僕はテレビのバラエティー番組の話題にはついていけないし流行にもあまり関心が無い古臭いタイプの人間かもしれないけれど、古い気質の日本人と思ったことは無かった。それは僕にとっては嬉しい褒め言葉だ。

 愛国心があるかと問われると僕は無いと答える。行政、経済、宗教の単位としての国という概念には興味が無いからだ。しかし日本人を意識するかというと海外に行く毎に日本人の血、日本文化への意識を深めてきたように思う。異文化や現地人の良さに感動するのと同時に日本文化、侘びと寂、謙遜と謹みといった繊細な心の美しさにも気が付かされることがしばしばある。僕はそんな和の心が好きだし日本文化の血を受け継いでいることを誇りに思っている。僕は将来世界のどこで何をしようともこの気持ちと共にありたいと思っている。

 戦後の経済成長、拝金主義に駆逐された日本人の心について彼はこう言った“日本人から和の心を取ったら一体何がのこるのか?”と。後にサンチアゴで知り合ったオーストラリア人の友人はこんな事を言っていた“西洋文化はただ物を消費する文化なだけではなく、他の文化さえも消費してしまう文化”と。どちらも言い過ぎているとは思うけれど日本人と日本文化の現状を的確に表現していると思った。
 日本人は大切なものをどこかに置き忘れてきてしまっている。