ブレーキトラブルと中国部品


2007.12.17〜12.20 パラグアイ 
シウダーデルエステ → コロニアイグアス → アスンシオン方面経由 → コロニアラパス → エンカルナシオン Ciudad Del Este → Colonia Yguazu → Asuncion → Colonia La Paz → Encarnacion)

“スカッ” 目の先にあるパラグアイの町シウダーデルエステを目指しブラジル側にあるユースホステルを出発して1つ目の交差点で起こった。ブレーキレバーを握っても油圧がかからずブレーキが全く効かないのだ。ABSなどブレーキシステムの開発の仕事を専門にしてきたので何が起こったのかは直ぐに見当がついた。マスターシリンダーという部品の内部にある小さなゴム部品が切れたのだ。ホンダ販売店に直行するが当然ながら取り寄せで時間がかかるという。中古部品屋で適当な他の機種のマスターシリンダーも探したが、店員が日本製だから安心だと言って持ってきたものを見ると、確かに日本の大手ブレーキメーカーのロゴが入っているが明らかにおかしな日本語で注意書きが書かれている。しかも外観を見ただけで品質に問題があることも分かった。中国製コピー商品の怪しさに思わず感心するが、値段も決して安くは無かったし、ここは一か八かパラグアイ側の町のバイク屋に賭けてみることにして国境の橋を越えた。

パラナ川を渡りパラグアイに入国するとその雑踏と喧騒、生活用品の並ぶ店の数々、日本製のボロい中古車、マシンガンを構えたガードマンのいる両替屋などエネルギーに満ち満ちた雰囲気に圧倒される。イミグレーションの列にまで物売りがうろうろし、バイクを停めようとすると子供たちが追いかけてきて、頼みもしないのに“バイクを見てるから”と言って金を貰おうとする。整然としたブラジル側とは川を挟むだけなのに大きな違いだ。直ぐにお目当てのバイク屋を探すが、バイクも部品も中国製一色だった。腹をくくって激安のコピー部品を購入し、必要な工具を持っていなかったので同じく激安の “メカニック屋さん”で部品を交換してもらった。あまりに安く問題を解決できて不安に思っていたが、案の定レバーの感触がとても悪く、日に日に変化し2週間後のブエノスアイレスの南300kmアズールという町でとうとう再び壊れ、以後パタゴニアにはまともなバイク屋は皆無に等しく、最南端手前のリオガジェゴス(RioGallegos)という町で他のバイク用の中古マスターシリンダーを手に入れるまでの3千km、前輪のブレーキは使えなかった。もっとも後輪のブレーキは使えたし、そもそもその辺りでは道も単調で交通量も非常に少なく、ブレーキはあまり必要なかったので助かった。
 ブレーキ開発に明け暮れたヤマハを退職したらニ度とブレーキで頭を悩ますことは無かろうと思っていたのに早々と悩まされる日々を送り、運命のいたずらを呪った。