バイク屋RJR MOTOS


 最終日、サンパウロまでの最後の道のりは旅の初日にも通った道だしサンパウロに近づくにつれて車も一気に増えるので脇目もふらずに走った。遂に見慣れた川沿いの道マージナルの大渋滞に飛び込んだ。排気ガスは酷くて直ぐに顔が真っ黒になる。オートバイで荷物を運ぶモトボーイや通勤通学の、中には二人乗りもいる小さなバイクが狭い車の間をクラクションを鳴らしながら恐ろしいスピードで川の流れの様に駆け抜けて行く。車が予期せぬ動きをしたらやばい。実際にバイクの事故は頻繁に見るし、車に向かって悪態をついたりドアミラーを蹴り飛ばして行くような無法者なライダーもいる。すり抜けは苦手ではないけれども最後にこんなところで旅を台無しにしたくなかったので途中から車と一緒に走った。すると今度は後ろの車がバイクは邪魔だとばかりに車間を詰めてくる。サンパウロの友人達は旅の道中危険はないかと心配してくれていたが、灯台下暗しとはこの事で、サンパウロのマージナル通りこそが今回の旅で1番危険な道だった。ここで自由に走り回れる人ならば恐らく世界どこへ行っても困る事はないだろう。

サンパウロに着くと、市の中心にあるオートバイ街へと向かった。旅を始める前にバイクの整備などをして頂いたバイク屋さんRJR MOTOSに挨拶に行くためだ。社長のフビーニョ(Rubinho)はイナダさんのレース時代からの親友で、彼自身もイナダさんの引退後にチャンピオンを取った男だ。友の友は友という南米の素敵な考えのお陰で僕は面倒を見てもらっていた。言わば旅のスポンサーだ。

国境や旅の記念になるような要所要所の建物の窓ガラスには旅人が記念に貼ったシールがたくさんある。グループの名前や旅のホームページが書かれていたりする。僕はそこに彼のお店のステッカーを貼っていた。オートバイのヘッドライトの上とヘルメットにはRJRに加えて過去に僕がサポートを受けた事のある会社のものも貼っていた。ロシア横断旅行のときスポンサーを買って出て頂いたイタリアのオフロード用品メーカーACERBIS、レースをサポートして頂いたヘルメットのSHOEI、日本のオフロード用品メーカーのダートフリーク、パリダカなどのシートで有名なノグチシート。
 どこにどれだけステッカーを貼ったところで僕のレベルの走りや旅に支援をしても、これらの会社が受け取る見返りはゼロに等しい。彼等は金ではなく人や夢に投資をしてくれたのだ。そんな事をしてくれる人や会社は滅多に無い。僕はそういう人が好きだから、見えない所でも彼等に少しでも敬意を払いたい。

 フビーニョと彼の奥さんは僕の帰還をとても喜んでくれた。僕が定期的に送っていた英語のメールを楽しんでくれていた様子で、娘のアリーネ(Aline)が訳して伝えてくれていた。言葉の問題で口では僕がどれだけ感謝しているかを伝えられなかったけれど、僕の気持ちは十分伝わった様だった。その後バイクを売るために修理や整備で彼の店に通わせてもらったのだが、彼が1日に何度も通うカフェにいつも一緒に連れて行っておごってくれて、仲間に僕の旅の事を自慢してくれていた。後日フビーニョの自宅に呼ばれシュラスコを御馳走になり、そのまま2日間お世話になった。居間で一緒にテレビを見てくつろぐ。もはやスポンサーをずっと通り越えて家族のような感じがして嬉しかった。