ブラジル日系人


 マットグロッソドスル州には日系人が多い。パンタナール湿原でもファビオ小川さんという面白い日系人に出会った。湿原を流れる川の畔の小さな集落で渡し舟を待っているときに上半身を真っ黒に日焼けして短パン、ビーチサンダルに片手にビールという出で立ちの40半ばくらいのおじさんに会った。顔はどう見ても日本の田舎に居る優しいおじさんだったけれど、格好は浜松の海岸で見かけるブラジル人だったので直ぐに日系人だと分かった。直ぐに仲良くなって家に昼食に呼ばれた。家は日系2世の親のもので、湿原に建つ高床式手作り住宅で廻りを魚が泳いでいる。クロコダイルも足元に住んでいるらしい。母親は日本に出稼ぎに行ったことがあるので立派な日本語を話すが3世の彼はもう少し外人っぽい。日本に行った数年間で言葉を覚えたらしいが、工場で働くのではなく日系ブラジル人相手の商売、例えば車屋とかブラジル弁当屋などを立ち上げて軌道に乗せては店ごとブラジル人に売ってお金にして次の国へ行く。そうして世界を旅して廻ったのだそうだ。彼は明るくて憎めない人柄なので、どこへ行ってもその国の人脈ができて、例えば日本ではヤクザとも仲良くなって結構楽しんだようだ。金は貯めずに直ぐに使い切る性格というが、今でも日本やブラジルなどに幾つか会社が残っているようで金には不自由せず、実家の湿原でビールを飲んだり海岸でサーフィンをする気ままな生活を送っている。もちろん電気も無い集落に住んでいれば金の使い道はビールくらいしか無さそうだ。日本人も住む場所が代わって世代も代われば随分と変わるものだ。
 彼や部落の雰囲気が気に入ったので、この日は殆ど走っていなかったけれど隣の家のもう1人の日系人(混血)エディソンの家に泊めて貰うことにした。早速彼らの日常生活に溶け込み、3人で小さな船で川を遡ったり、集落の仲間と目の前で釣った魚を焼いて食べ、ギター演奏を聞きながらビールを飲み、川に飛び込んで遊んだ。夜はファビオさんに連れられて近くの日系人のレストランに魚の唐揚げを食べに行った。蚊が多くて足をブスブスに刺されて足中に謎の蕁麻疹が出て暫くかゆくて大変だった。この3日間は復活祭で夜6時までは肉を食べられない。会う人皆が仲良しで話しもビールも笑いも止まらない。

パンタナール湿原を離れて再びアスファルトの国道に戻る。さすがにブラジルの道路は走りやすいと感心していたら車に跳ねられたクロコダイルを見つけてびっくり。その直後にバイクの調子が悪くなりやがて止まってしまった。点検すると燃料コックにゴミがぎっしり詰まっている事が分かった。電気系ではなくて一安心。道路のクロコダイルが生きていなくてもう一安心。ボリビアの燃料にゴミが混じっていたのだろう。

 路肩で修理をしている時に何度か日本人の顔をしている車が通り過ぎた。やはり日系人が多い。州都のカンポグランジ(CampoGrande)には神社の鳥居を発見して入ってみると日系人の交流の場の様であった。グラウンドにサッカーをしに集まってきた日系人達の1人が僕を知って“おおい、誰か日本語話せる奴いるか?”と廻りに聞いている。出稼ぎに行ったことのある1人が喋れるだけだった。

 人によって差があるけれど、隣国のボリビアやパラグアイの日系人に比べると随分と現地人化が進んでいるのがブラジル日系人の特徴だ。世界中どこへ行っても、どれだけ長く滞在しても訪問者である日本人の僕は大なり小なり外国人扱い、お客様扱いされているように感じ、外国人であることを意識させられる。友好的な国や人も居ればそうでない場合もある。日本の進んだ科学技術や日本人の旅行中の金払いの良さやマナーの良さの影響で殆どは良い印象で歓迎されるが、露骨な人種偏見でドイツで白人にビンを投げられたこともあるし、子供達から“チナチナ”(中国人蔑視の言葉)とからかわれる事は色んな国で経験する。英語圏の人は他の英語圏に行くと簡単に溶け込めるのが羨ましかったが、日本人にとってブラジルがその特別な場所だ。今やブラジル日系人は世界最大規模で150万人と言われている。空港に降り立っても外人である事を意識させられる事も少ない。世界中の移民、混血がいるブラジルでは、言葉や人種によらず、誰もが1人の人間として接してくれる貴重な場所だ。日本人という理由で偏見を受ける事は昔はあったらしいが今は先ず無い。逆に他の国で感じる事のない特別な尊敬の眼差しを向けられることもある。それは日系移民と子孫の真面目さと謙虚さ、並々ならぬ努力と犠牲がブラジルの発展に大きく貢献してきたことが社会に認められてきたからだ。人口1%に満たない日系人だが、社会の要職には広く日系人が浸透しており、ブラジルにとって日系人が如何に重要な位置を占めているかが分かる。
 初めてブラジル出張へ行ったときに、駐在している友人から言われた事がある。“頼むから今の日本人の悪い行いや態度で日系人の良いイメージを壊さないで欲しい。仕事がやりにくくなるからね”と。彼の言う通りかも知れない。今の日本人の乱れた様子を見たら、彼らがそこまで尊敬の念を抱くか自信がない。

 今年6月、ブラジルは初めての日本人移住船笠戸丸を迎えて100周年の記念日を迎えた。彼らの努力、活躍があったからこそ僕はブラジルでいつも素晴らしい経験をする事ができるのだと感謝している。日本でも今新聞などにブラジル100周年特集記事を見る事が多いけれど、一般的な日本人の遠い国ブラジルへの関心は低い。 1990年の出入国管理法改正で大量の日系ブラジル人労働者の流入があり犯罪が急増して日系ブラジル人に対する負のイメージがあるのも残念ながら事実だ。犯罪は何人であろうと問題だし、彼らの大量受け入れに準備の無いまま受け入れた日本の社会にも問題があるが、僕が1番悲しいと思うのは100年前に貧しかった日本が移民の名の下に事実上“棄民”し、その子孫である日系人をバブル経済の時には都合良く呼び寄せ、経済が傾いてきたら今度は煙たく思う、彼らを翻弄させる身勝手さだ。日本人はもっと日系人の歴史や努力を知るべきだし、もっと敬意を払うべきだと思う。
 日本では注目を浴びないブラジル日系人達の正の部分を日本で正しく伝えることが、ブラジル社会で受けた幸せへのささやかな恩返しだと思っている。