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企画にあたって
プロジェクトの発端は3年前(1994年)に遡ります。当時学生だった私は資金不足と情報不足で計画を実行に移すことはできませんでした。そもそもなぜロシアかと言えば、その1年前に自転車でアラスカを旅行した時にその素晴らしい自然と温かい人々のもてなしに感動し、今までに旅した国々の中でもっとも住みたい国の1つ だと思ったのです。ところで地図を開けば、アラスカの横にシベリアがあるではありませんか。緯度がほぼ同じであるし、まして西欧ナイズされていないとすれば、さらに快適な土地ではないかと勝手な想像をしたものです。しかし、シベリアの情報はなかなか手に入りません。そこで実際に自分の目で確かめに行くしかないと考えたのです。
その後良い機会はないかと気にかけていたのですが、昨年7月にロシアの書記が共産党のレベジ氏に代わり外国人の立ち入り規制の緩和傾向から一転してパスポートコントロールが強化され万事休すかと思われました。ロシア大使館、インツーリスト(旧国営旅行社)やロシアに詳しい旅行代理店に問い合わせても宿泊地、日程、訪問先を事前に提出する必要のない自由旅行のビザは発給できないとのことでした。その中我々の強力なメンバーの一人、ロシア在住の菅原のルートを通じ、3ヶ月の自由旅行のビザを入手することに成功したのです。
↑実際は不成功でフィンランドから闇ルートで入国した。
今回この時期に是が非でも行かなければならないのは以下5つの理由からです。
@次回またビザを入手できる保証がないこと
Aロシアの開放政策に伴い、自然環境、経済、治安が急激に変化しており旧ソビエト連邦時代の面影を見聞きできるのは現在しかできないこと
Bユーラシア大陸のシベリアルート完全横断を日本人初で達成すること
C3人の気力と体力がある現在において挑戦したいこと
D雪の降る前にシベリアを通過したいこと(9月にシベリアで積雪の可能性)
この計画は、アメリカ横断などとは性質が異なり成功の可能性が高いとは必ずしも言えません。
@限られた時間やスペアパーツ、粗悪なガソリンでの車両の耐久性
A猛獣(シベリアンタイガー、グリズリーベアー等)による被害
B急速な治安悪化
(今最も危ないのはシベリアの山中。”山賊”が頻繁に出る。’朝日新聞97.4.16掲載)
(開放経済による貧富差の拡大。極東の公務員は、空港職員でさえ賃金不払い が続いており、事実上マフィアが社会を支配している’ロシア旅行社談)
C道路のない区間での川渡り等
(車両によるロシア横断はヒマラヤ登山に匹敵する冒険’ロンリープラネット ロシア編)
我々はもちろん無理と判断した場合断念する勇気はあります。失敗を恐れてはいません。しかしながら我々は個々の分野で豊富な経験を持ち、これらの困難を切り抜けこれを成功させるにふさわしい能力を備えていると信じています。
最後になりましたが本プロジェクトを支援支持して頂いた皆様に感謝しています。
1997年6月 プロジェクトリーダー 間瀬 孝
経済・軍事面でもロシア全土の統率はもはや見られないが、それはその他全ての事柄についても言え、ロシアという一括りでは到底捉えられない。地理的に見ても東西の陸上交通は鉄道以外はシベリアの湿地帯で分断されており“車両によるロシア横断はヒマラヤ登山に匹敵する冒険(ロンリープラネット ロシア編)”と書かれるほどである。
この様に、大陸北部地域は、ロシア人にさえ全体を把握しきれない広大・多様・複雑な地域であり、様々な可能性に満ちた未知の世界である。そこで今回の、恐らくは日本人初のモーターサイクルでのロシアの完全な横断を通じ、短期間ではあるが、人々の生活や文化、経済、自然環境を内側から見、この地域の全体像を捉えたい。特に、冷戦の終結により、名実共にこれからの日本の隣人となりうるシベリアの可能性を、肌で感じ取りたいと思う。
加えて、人々に夢と感動を与えるものとしてのモーターサイクルの可能性・意義をアピールしたい。
2・日程 1997年7月23日〜9月14日 54日間
(400Km×32日 予備日22日(含む移動))
3・手段 モーターサイクル ヤマハTT600E改×3台
(空冷単気筒4サイクルエンジン)
4・メンバー略歴(当時)
間瀬 孝(筆者略歴はプロフィール参照)
山本 達郎 チーフメカ,渉外
1969年3月生まれ
山口県岩国市出身
横浜国立大学生産工学科卒
ヤマハ発動機(株)第4プロジェクト開発
走行実験グループ所属
趣味/特技
・モーターサイクル全般(オートバイ歴11年)
趣味、仕事共にオートバイの作り込み・走行に情熱を燃やし、
オートバイを愛するのみならず、我々の生活や社会における
オートバイの意味や位置づけ等を常に考えている。
仕事としてはオートバイの走行実験等を担当している。
趣味としてはオフロードも含め日本中をツーリング。
また旧車からレーサーまで様々な機種の整備やレストアの経験
を持ち、あらゆるメカトラブルに対応する能力を持つ。
・オートバイ歴
RZ250、RZ250R、RZ350、Z1super4、SEROW225等
・アウトドア全般
登山、MTB、オートバイ林道ツーリング等
・その他
バイク,工具,アウトドア用品等、道具に徹底的なこだわりを持つ
夕飯からオートバイまで何でも作る。破れたズボンから
VWビートルまで何でも直す。
菅原 専 ロシア語通訳
1973年4月生まれ
新潟県新潟市出身
ロシア国立
ゲルツェン教育大学 言語学部 ロシア語科 3年
サンクトペテルブルグ東洋大学
日本語学 講師
職歴 元外車輸入販売ディーラー’ヤナセ’サービスメカニック
長距離トラックドライバー(1年間)
ロシア語船上通訳
(アリューシャン列島コマンドル諸島自然保護区海産資源探査研究)
趣味/特技
・オフロードバイク(オートバイ歴10年)
16歳より数台のオフロードバイクを乗り継ぎ、日本全国をツーリング
オートバイ歴 DT125R、CRM250、CR125、TLR等
・MTBツーリング
北海道、四国一周を含め国内を網走。
・自動車
日本にいた頃は三菱ジープを愛用。
オートバイ・MTB同様自然の中へのアクセスに使用。
メカニックの経験も有り、豊富な知識を備えている。
・ロシア語学/ロシア事情
ロシア語語学力については、通訳経験も有り高い実力を持つ。
ロシア滞在4年目になり、ペレストロイカ以降の思想・経済の
激動を肌で感じ、ロシアの生の姿と向かい合ってきた。
ロシアの訪問都市は30以上になり、北はムルマンスク(北極圏内)
南はソチ(黒海沿岸)、東はペトロパブロフスクカムチャッカ
(カムチャッカ半島)まで、ロシア全土を見てまわっている。
大学では世界におけるロシアの地位・日露国交の今後のあり方
をテーマとし、文学・歴史・社会などを通しロシアの理解・分析
に励んでいる。
5・ルート イタリア→ドイツ→ヘルシンキ→モスクワ→バイカル湖
→ハバロフスク→ウラジオストック→新潟→静岡
(シベリアの一部区間300Km以上道路無し)
総走行距離 約1万8千Km
6・予算 約300万円(3名分)
↑帰国後車両売却などもあり、実際の経費はずっと安かったと思う
予算内訳(概算) メンバー1名当り 単位 円
オートバイ本体 600,000 一部スポンサー様提供
オートバイ改造費・スペアパーツ スポンサー様提供
(ビッグタンク、キャリア、フレーム補強等)
ライダー備品・その他装備 100,000
成田−イタリア間航空料金 100,000
ウラジオストック−新潟間フェリー(オートバイ含む) 50,000
ガソリン 43,350
(50円/L×867L(燃費15km/Lで計算))
宿泊費 (1500円/日×約50日) 75,000
食費
(1500円/日×約50日) 75,000
雑費 6,650
小計 1050,000