悪夢その4


 気の短い僕は、道路が乾くまで待って自走で洪水のエリアを抜けることを諦めてその区間を列車に載せることに決めた。お世話になった方々に挨拶回りをしてサンタクルスの街に戻った。列車はもう正常に動いている様子だった。夜7時の列車に乗ろうと昼過ぎに駅へ行ったのだが、その列車は貨物車が無く、バイクと一緒に乗るならば昼12時の列車しかないからバイクの積み込みに明朝8時半に来るように駅員に言われた。そのまま街のホテルに泊っても良かったが、信子さんに“駄目だったらまた戻っておいで”と言われていたし、60kmしか離れていないから朝早く出れば間に合うし、何より皆と別れて寂しいのでもう一晩泊めてもらう為にオキナワ第2へ戻った。

 着いたときには丁度夕方で商店の前の野外のテーブルで信子さん、比嘉さんやヒロ君達5人がビールを飲んでいた。“ただいま”とバイクで乗りつけると“おかえり”と迎え入れてくれて皆に混じってビールを飲んだ。大分酔いが廻って皆より一足先にバイクで山城邸に帰って直ぐにベッドに横になった。一瞬何かが脳裏に引っかかったけれど何だか分からず酒の勢いで直ぐに眠りに落ちた。未だ暗い早朝、うとうとしている時にそれが何だったか突然頭にはじけて飛び起きた。ウエストバッグが無い。広場で酒を飲んだときにテーブルの後ろに停めたバイクの上に置いた所まで記憶にあった。慌てて暗闇の中を歩いて広場に探しに行ったが無い....。戻って既に作業場で豆腐作りをしていた信子さんに話した。
 バッグの中にはいつもパスポート、バイクの書類、日記帳、写真の入ったメモリースティック、地図、ボールペンを入れていた。拳銃強盗に遭ってバッグを取られることも想定していたので財布だけは別にしていた。“金が入っていないから盗んだにしても拾ったにしても草むらに捨ててあるかもしれないから”と信子さんは車をゆっくりと走らせて道路脇を探したり、警察に届けを出したり、村中を一緒に歩き回ってくれた。太陽が昇り、信子さんが学校に行ったあとも1人でバイクで探し回った。洋一さんの車に出会い“どうした?帰ってきたのか”と声をかけられてもあまり多くを話す元気も無かった。うなだれる僕を見て信子さんの義母、徳子さんは彼女の神様にずっと祈ってくれた。“パスポートが戻ってきますように”と祈るのではなくて“パスポートが出てきてありがとう”と言って祈る彼女のやり方は興味深かったけれど、僕はもう少し現実的に考えなければならなかった。
 パスポートが無ければボリビアを出れないし、バイクの書類もないからやはり出れない。日記は良いとしてもメモリーにはこれまで撮り貯めた写真全てが入っていたのがショックだった。
 信子さんの人脈で日本領事館の知り合いにパスポートやバイクの書類の事を相談したり、ブラジルビザ再発行や黄熱病予防注射の再接種の件を旅行会社に問い合わせたりした。皆とても心配してくれて親身に相談にのってくれたが、全てが揃うには時間がかかり、洪水が引いても当分ボリビアからは出れない予感がした。

 その夜の洋一さんの家での酒の席で、ヒロ君が長いこと1人でメモに向かって考え込んだあと皆の前で替え歌を披露してくれた。“〜バカバカバカ、パスポートを亡くしたバカ〜”落ち込んでいたけれど“しばらくここでスペイン語でも勉強しようかな”と一瞬気分を紛らわせてくれた。

 “金が入ってないなら謝礼金次第で必ず出てくる”という洋一さん達のアイディアで懸賞金付きの張り紙を出すことにして、信子さんと商店に相談に行った。すると商店のおばさんが“確かあの夜は近くにあの娘が居たよ”という情報をくれたので念のため名前の挙がった娘の家に行った。それは信子さんの敷地の中に住むボリビア人の使用人の娘だった。娘は“私は途中で帰ったけどまだ他の男の子が居たわ”と教えてくれたので更にそのボリビア人の男の子の家に向かう。その一家はヒロ君の使用人だ。その途中でその本人と母親が前から荷馬車を操って牛乳を運んでいるところに出くわした。信子さんは車を横につけて荷車の上の少年にスペイン語で聞く“あのさ、こうこうしかじかで日本人バイク旅行者がバッグ落としたみたいなんだけど持ってる?”彼は平然と答えた。“あるよ”。
 それぐらいのスペイン語は僕にも分かったから信子さんに説明される前に僕はホッと崩れ落ちるようにして天を仰いだ。信子さんも同じ様に大喜びしてくれた。そんな訳でその母親が家から僕のバッグを持ってきてくれた時には信じていない全ての神様に感謝した。“持ち主に返そうと思ったけどバイクの人が誰だか分からないから困っていたの。”と見え透いた言い訳も付けてくれた。当然物色した痕跡があってメモリースティックが無いのを指摘すると“あれ、途中で落としたかしら”とまたまた見え透いたごまかしをして戻って取ってきてくれた。
 信子さんの助言で母親にお礼として100ボリビアーノ(1400円)を渡すと、彼女は驚愕の喜びの表情を浮かべて小躍りして家に戻っていった。その10倍の懸賞金額を考えていたし1400円は非常に安いけれど、ボリビアでの使い勝手を考えると僕にとっても1週間近い宿代に相当する額だし、ボリビア人労働者にとっては月収の半分近い額なのだそうだ。“あれぐらい渡しとけば次に同じことがあったら届けてくれるようになると思うからオキナワの人にとっても良いのよ”と信子さんは慰めてくれた。後でボールペンが無いことに気がついたけれど、ボールペンくらい少年の勉強にでも使ってもらおう。

 結局事の真相は僕が酒に酔ってバイクで走り出した直後にバッグを落とし、それを少年が拾って持って帰ったということらしい。全く自分はバカバカバカ〜だった。僕は酒の量が過ぎると頻繁に忘れ物をするし、久しぶりに日本語環境と日本人の心に触れたので旅の間中張り詰めていた警戒心と緊張が完全に解けてしまっていた。チリで金を盗まれ、ボリビアでパスポートを無くした。せめて命だけは落とさずにブラジルに戻ろうと心に誓った。


 心配していただいた皆へのお礼の連絡と、今度こそ本当のお別れを言って土曜の朝にオキナワを後にした。サンタクルスへは信子さん、比嘉先生、トモヤ先生と一緒に行った。信子さんのお母さんの家がサンタクルスにあって皆で泊めて貰うことになっていた。先生達は日曜にある会合出席のため、信子さんは各地の日系人が定期的に集まって開催している子供達のサッカー、バレー大会のオキナワチーム応援のため、僕は月曜の列車に乗るため。彼等は車で僕はバイク。途中までのダート道、ちょっと前に出発した彼らの車に追いつくように全開で走ったら振動で後ろのフラッシャーが取れて無くなった。でも全然気にならない。パスポートもあるし、またバイクに乗れる。