ようこそ沖縄へ


 サンタクルスを抜けて船着場を目指す途中に通りすぎた村々はまるで東南アジアかと思うくらい小さなバイクが洪水の様に氾濫していて驚いた。数年前までは静かな村だったと聞くが、今は排気音がけたたましく昔を想像するのはもはや難しい。ほぼ100%中国製バイクだ。街道沿いにはあちらこちらに、まるでバナナの叩き売りの様に中国製バイクの新車が並んでいる。洪水で畑が流されるように、やがて世界は中国製バイクに流されてしまうのではないかという恐怖すら感じる。

 東に道を折れると車もぐっと少なくなる。道路脇にはのんびりした緑の畑や白い牛のいる牧草地、そして冠水した粗末な家も見える。やがて目の前に道路をまたぐ門のような物が現れ何か文字が書いてある。“めんそーれオキナワへ”僕の頭の中は暫し混乱する。それは日本語で書かれている。上に書いてあるスペイン語を見てそれが琉球語で“ようこそオキナワへ”という意味だと分かる。旅行ガイドなど持って居なかったから何も知らなかったが、そこは沖縄県の人達が移住したオキナワ村だった。日本の47都道府県の中で唯一行ったことのない沖縄に地球の反対側でお目にかかれるとは想定外の驚きだった。ブラジルには今日系人が150万人居るとされているが、それに比べると1%にも満たないがボリビアにも1万4000人の日系人が住んでいるらしい。
 とてもドキドキして人通りの多い村を通り抜けて見たけれど、アジア人ぽい顔があまり見当たらない。パラグアイの日本人移住地とは随分様子が違う。琉球瓦の沖縄らしい食堂を見つけて昼食をとりに入る。すると懐かしい日本食のメニューとおじさんの日本語に迎えられ感激した。久しぶりの味噌汁とカツ丼、そして沖縄と言えばと思って注文したゴーヤチャンプルもやっぱり美味い。彼はここで生まれた2世だった。“オキナワはここ第1地区から第3地区まで分かれていて第1は現地人がたくさん流入して沖縄人は紛れて目立たなくなっているけれど、第2第3は沖縄の人ばっかりだよ”という話を聞いて南に未舗装路を18km、大きな水溜りやぬかるみの中を30分ほど走った所にある第2を訪ねて見ることにした。
 第2の村に着くと確かに日本語が聞こえてくるからびっくりした。ゲートボールをしている老人達を見てヘルメットを被ったまま会釈をすると向こうも会釈を返してきて“こんにちは。でも誰かしらね。”などと言って顔を見合わせている。
 木陰にある小さな商店に何となく吸い寄せられて店のおばさんやお客さんの様子を見て未だ頭の中が混乱しているときに、どういう話の始まりだったか覚えていないけれど、お客さんで僕と年齢が近そうな女性と会話になった。“何処に行くの?どこに泊るの?”と彼女。私“リオグランデ川の向こうを目指しているのですけど、今日は未だどうするか決めていなくて...。”すると彼女“じゃあちょっと一緒に来て。多分大丈夫だから”と言い残して携帯電話で何やら話をして車で立ち去る。何が大丈夫なのか完全に理解しないまますぐ近くの学校について行く。何で小学校に来たのか益々謎は深まる。校庭に出てきた彼女の子供や先生と思しき人達と成り行きのまま挨拶する。その中のとても元気な女性が僕に“あっ、もうちょっと待ってて今家に連れてくから。”という経緯で、その元気な女性の家に泊めていただくことになった。