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昔ロシアを旅した時にも似た様な光景を目にした。極東の港町ウラジオストクに陸揚げされた車が鉄道やガタガタの道路を使って自走で東に運ばれていた。ロシアは右側通行なのに極東地域には右ハンドルの日本の中古車しか走っていなかった。その光景はボリビアの様に楽しいものではなく、腹が立っていた。何故なら中古車に混じって多くの盗難車が渡っていたからだ。その頃の新聞には大きく報道されていたし、知り合いが車を盗まれた事もあるし、友人がウラジオストクの中古車屋の車体番号を日本の陸運局に照会したら全て盗難車だったこともある。
ハバロフスクの銀行に立ち寄ると“4泊5日 960$ あなたも日本へ中古車を買いに行きませんか。”という旅行広告が貼り出されていた。船員手帳があれば4日間のビザ無し滞在と2台までの車の持ち出しが出来るという船員特権を利用した当時極東を実効支配していたロシアマフィアの商売だった。実際に僕らが乗船した新潟、富山行きの客船には乗客26名に対し乗員と称する人は80名以上いて、ウラジオストクへは76台の車を甲板に押し込んで帰ったそうだ。10年以上も前の話なので今は事情は変わったと思うけれどそんな嫌な思い出もあった。
ボリビアではそんな悪い印象は受けない。ロシアの様に盗難ランキングに出てくるような高級車は少なく、大衆車が多かったし、ロシア人に多かった乱暴な運転も少なく、生活を支えるための大事な車という印象が強い。むしろ目を向けさせられたのは日本人の新しい車に乗り続けなければならないという心だった。
日本では今、車の平均車齢は7年と言われている。つまり7年経った車はスクラップされるか外国に輸出される。7年も経てば多くの車は価値が殆どなくなる。スピードが出なくなるのでも燃費が悪化するからでもなく、新しいものを使うのが当たり前の世の中だからだ。しかし輸出された車たちは元気にボリビア人の生活を支えている。笑顔を与えている。しかも新車価格とは比べものにならない破格で。
僕は日本で1990年製のトヨタハイエースに乗っている。18年前の車で25万km走っている日本では化石に属する車だ。数年前、行きつけの車屋で自分で車を整備しているときに、中古車輸出を手がけるイラン人が現れたので冗談で“俺の車いくらで買うんだ?”と聞いたら、見回して“要らないよ”と言われたくらいだから以来ドアはロックしないし鍵も車内に置いてある。新車が買えないわけではないけれど、日本の車社会は成熟しているから新車を買う費用に見合った価値を見出すのが僕にはなかなか難しい。快適性や安全性など進化は止まらないけれど、馬車が車になるような劇的な進化は見られない。交通量が多く、速度制限が厳しいから多少速い車に変えても目的地への所要時間は変わらないし、燃費が各段に良くなっているわけでもないし、ディーゼル規制にしても新車を製造する時に消費する資源やエネルギーや廃棄時の環境への負荷を考えると必ずしも新車が環境に良いとも言いにくい。それでも日本人が新車を乗り継ぐのは、新しいものを消費すること、世間体、ブランド崇拝などに価値を見出しているからであろう。
僕は日本人らしからぬ心持ちで古い車と付き合ってきた。オートバイのレース会場のある田舎の山の中で泊るから、オートバイを積んだまま寝ることも出来るように改造してある個人的にとても使い勝手の良い車だ。色んな想い出も詰まっているから手放すタイミングが見付からなかった。ところが近年、石原都知事が始めたディーゼル規制で首都圏に入れなくなってしまったし、古い車に課せられる税金も年々上がり肩身の狭い想いをするようになり、いつ手放そうかと思案するようになっていた。しかしアルゼンチン北部の僕のよりも遥かに古くてぼろい車達やボリビアの日本製中古車が元気に走っている姿を見ると、まだまだ乗り続けるべきなのかと再び考えさせられている。