田舎の国境に流れる空気


迷子になったお陰で60kmをロスしたけれど、ガソリンは十分だったのでコブレスに戻らずにそのままチリへ向かう。
 標高4000mを越えて全くエンジンが回らなくなったので、1週間前にアグアネグラ峠(4779m)でテストしたエアクリーナー外し作戦を開始すると直ぐに快調に走り出した。たまに車や大型トレーラーとすれ違うときだけエンジンが埃を吸い込まないように手前でイグニッションを切ってクラッチを握って惰性で走った。

 コブレスを出てから51号のアルゼンチン国境までの100Kmには文字通り何も無い。遠くに雪を抱いた山、黄金色に輝く大地、紫や赤と次々と色彩を変える近くの山。かろうじて道だけがそこが天国ではなく現実の世界だという事を教えてくれる。夕方日没が迫る8時にアルゼンチン側のSico峠国境事務所にたどり着いた。そこは何も無い月の表面にポツンとある人工物のようだった。ここでテントを張らせてくれと頼むと、親切にも事務所の横にある誰も使っていない家を貸してもらえる事になった。標高が高いので夜はかなり冷え込むし、風が強くなるのでとても有り難かった。家はガレージがあり、プロパンガスのシャワーやキッチン、ベッドルームまである快適さだった。空いているから使えばいいさ、といった雰囲気で、翌日出て行く時も特に誰かに気を遣われる事もなかった。
 朝9時までゲートは閉まっているのだが、ゲートの前には夜のうちに到着したトレーラーが3台いた。運転手達は常連と見えて係員達とも顔見知りのようだ。出国手続きのあと係員がトレーラーの荷物を検め手動のゲートを開けると、運転手は運転席から身を乗り出して係員に雑誌プレイボーイを渡して走り去った。女性どころか人さえ見ない世界で働く彼らの心の絆は強いに違いない。係員は僕にも親切で、“この先も当分ガソリンが手に入らないから足りなかったら分けるよ”とも言ってくれた。ガソリンは問題なかったけれど夜の冷え込みのせいでバッテリーが上がってしまっていた。砂利道の勾配を何度も押し上げてエンジン押しがけをし、酸素の薄さもあって息があがり、冷えた体が朝から一気に温まった。
 
 チリ側の国境事務所も夢のように美しい景色の中にある。フラミンゴが群れる塩湖の畔の白い結晶を舐めてみたら本当に塩だった。気の遠くなる昔に海底が隆起して4000mまで上がってきた証だ。本当にそんな事が地球に起きているなんて驚きだ。先行していたトレーラー3台がゲートの前に止まっているのが見える。幾ら綺麗に見えてもチリの国境は今までの経験からすると係員の対応がアルゼンチンに比べて事務的で、時には横柄で、時間がかかる事が多く、食物検査もあるので身構えてしまう。まあ、公務員というものは多少の差こそあれ万国共通の雰囲気がある。
 そこには小さな建物が2つあり一つ目の事務机が置いてあるだけの暗い部屋でぶっきらぼうな制服の係員にパスポートとバイクの書類を見せて、それらの情報を彼がノートに手書きで書きとめる。アルゼンチンでもチリでも同じ事だが、国境毎に記入事項は違うし、ここの様な小さな国境ではパソコンも無くノートに手書きしている。とっくの昔に情報化社会になっているのに、国の玄関口である国境事務所にすらパソコンが無い。全く呆れてしまうと同時に昔にタイムトリップしているようで面白い。もう一つの事務所は税関で、珍しくとても愛想の良い人で驚いた。僕の事を下の名前で呼んでくれるし、荷物検査のあと別れるときは握手をして旅の成功を祈ってくれた。チリの国境係員のイメージを一気に良くしてくれる出来事だった。