10年越しの口約束 


南米をバイクで走ろうと決めたのは出発のつい2ヶ月前のこと。退職の挨拶メールをしたらブラジルヤマハの友人達から“じゃあブラジルに遊びに来い”との返事。彼らに会いたかったし、ブラジルの文化がとても気に入っていたので、“じゃあついでに他の南米の国も見てみたい”と。そんなところからムクムクと興味が沸きあがってきた。

1997年の夏、ある理由でシベリアをどうしても見たくて会社を2ヶ月間休ませてもらってオートバイでヨーロッパから日本までロシアをシベリア経由で横断した。社員寮の先輩と、その知人でロシアの大学に留学中の男が仲間に加わってくれた。時はペレストロイカで開いた自由主義の風穴が冷戦終結をようやくもたらした頃。インターネットも普及していない時代で全ての情報が手探り。ロシア横断がまだ冒険と呼べる時代だった。外国人の自由旅行はまだまだ許されておらず、ガイドを付けずに旅行計画書も提出せずにバイクで旅するなど、まともにロシア領事館に申請してもビザなど発給されるわけもなかったし、シベリア横断道路も完成していなかった。だからフィンランドから違法に闇ルートで入国し、途中ある事情で警察に拘留されたり、シベリアの沼地では悪戦苦闘し命がけでシベリア鉄道の線路の上を走り鉄橋を越えた、そんなちょっとした冒険旅行をした。

その後、そんな旅を成功させた“戦友”たちとの酒の席でこんな口約束をした。“10年後の2007年に同窓会旅行としてアメリカ大陸を横断して世界1周を完成させようよ”と。しかしそれぞれの忙しい生活がそんな話を非現実的なものにしてしまっていた。でも言いだしっぺとしては心のどこかにそれが引っかかっていた。だから南米旅行を思いついた時に直ぐにそれと結びついた。“1人同窓会になってしまうけれど、ロシアの延長戦になるようなどきどきするバイク旅行をしよう”。でも自分の口約束を守るには残すところ3ヶ月。バイクの手配をする間もなく、“ネットもあるし、社会主義でもないし、サンパウロの友人達もいるから直ぐに旅を始められるだろう”という安易な気持ちで急いで南米に渡った。