孤独


翌朝のフェリーで海峡を渡った。この日も凄い風で海峡はうねりがとても強く、甲板のバイクが倒れてしまうのではとヒヤヒヤするほどだった。世界最南端の町ウシュアイアは旅人みんなが目指す場所だからフエゴ島に渡るといよいよバスや車の観光客を見かける。正月を最南端の町で過ごそうという人が多いから1月5日のこの日に見るのは帰りの人達が多い。景色は360度どこを見ても、どの瞬間を切り取っても素晴らしく美しいのだが、島のチリ側は舗装されていないから車の埃を浴びるし、強風と寒さで手の感覚が無いし、延々と一人で寒々しい風景の中を走っていると辛い時もある。国境のイミグレーションでバス旅行の楽しげなカップルやグループ旅行者などを見かけると羨ましく見える。同じ景色を見て同じ場所を目指しているけれども彼等と僕は異次元にいる。彼等はきれいな空気の暖かい車内で楽しい会話を楽しんで移動している。オートバイのグループ旅行者にしてもまた違う世界だ。彼等も同じく埃を浴び、風や寒さと戦うけれども感動を共有する仲間と心で繋がっているからそこに孤独感は無い。
 “一人で寂しくないのか”とか“一人でバイク旅行なんてお前はクレイジーだ”と言われることがよくある。もちろん寂しい時はたくさんあるし、自転車やバイクのレースで散々頭も打っているから少々脳味噌もやられているかもしれない。仲間と楽しい時間を過ごすのは勿論好きだけれども一人でボーっとする時間も昔から嫌いではなかった。

 英語にはlonlinessとsolitudeという言葉がある。日本語にするとどちらも孤独だけれども前者は一人で居て寂しいという意味あいで後者は一人でいること、という違いがある。solitudeの時間には意識は内面に向かい“自分は自分である”という自信と“自分はちっぽけな存在で世界の中で生かさせてもらっている”という謙虚さを思い出させてくれる。そしてそれらは自分を表現すること、新しいものを創造する時のエネルギーになる。lonlinessの時間には意識は外に向かい“人と繋がりたい”という欲求が生まれるから人と過ごす事の喜びと感謝の気持ちを再発見させてくれる。旅の間、両者は交互に心に現れる。どちらの孤独も僕を支えてくれる大切なものだ。

 この日、チリの未舗装路で自転車を押している旅行者に会った。あまりに風が強くて自転車に乗れないのだ。止まって彼と話をしてみると彼はアラスカからウシュアイアを目指しているという日本人だった。痩せた体と日に焼けた寂しげな顔からは絶望と深い孤独感が漂っていた。彼は間違いなく強い男だ。バイクで辛いと思っていた自分が急にばかばかしく思えた。