ライダーハウスGAMA


この日の目的地はブエノスアイレスから国道3号を300kmほど南西に走ったアズール(Azul)という街。バイク旅行者や地元バイク乗りが集う有名なライダーハウス“GAMA”があることをインターネットで知っていた。パタゴニアの道路事情、お勧めのルート、ガソリンの入手性、泊るところ、などなどオートバイ旅行ならではの情報が知りたかったし同じ仲間と話してみたかったのだが、サンパウロを出てからイグアスでブラジル人バイク旅行者に会った以外にバイク旅行者を見ていなかったので是非ここを尋ねて情報収集しようと思っていた。

ブエノスアイレス郊外を出るのに道に迷って時間がかかったが、3号を走り出してしまうと直ぐにまた地平線まで続くパンパが広がり高速で移動できる。日差しが強く、止まるとジャケットやブーツを身に着けているから暑くてたまらない。アズールの街では川をせき止めて作った天然プールに人が鈴なりになっていた。
ノーヘル、Tシャツ、短パンで日本製ビッグバイクで涼しげに走るおじさんを見つけてGAMAは何処かと聞くとそのまま案内してくれた。出迎えてくれたオーナーのホルヘ(Jorge)は陽気な49歳のおじさんで僕が日本から来たと知ると大喜びで僕を中へと案内してくれた。ゲストハウスは彼の好意の宿で無料で泊れる。キッチン、トイレ、シャワー、車1台分くらいのガレージの付いた小さな小屋で彼の小さなバイク用品店と隣り合っている。壁と言う壁は今までにここを訪れた外国人バイク旅行者や自転車旅行者の寄せ書きで埋め尽くされている。一番多いドイツ語に英語、日本語も少なくない。中には珍しく韓国人のものもあった。部屋にはベッドもあったが、外の彼の家の庭が美しいので庭でテントを張らせてもらった。ゲストハウスの中にいたのは2台のスズキDR650で旅を始めたばかりでこれから貯金がなくなるまで南米を旅するという僕と同年代のスイス人カップル。彼女の方は両親がスペイン人ということで彼氏にはドイツ語で僕には英語で通訳してくれた。ホルヘは日本人が大好きだと言って彼のことを紹介する日本のバイク雑誌や数年前に彼が日本に行ったときの写真を見せてくれた。聞くと、ここに滞在した広島から来た日本人バイク旅行者がホルヘへの感謝の気持ちとして日本で働いて金を貯めて彼に日本旅行をプレゼントしたそうなのである。そしてここを訪ねた事のある日本人達がそれに賛同して彼を日本中でもてなしたのだ。ここを訪ねた後アフリカのサハラ砂漠で道に迷い命を落とした日本人ライダーの墓参りの写真もあった。そして彼の遺品のヘルメットがこのライダーハウスに祭られている。

甲子園を目指す高校球児に感動するように夢を持った人にはエネルギーが感じられる。旅人にもそのエネルギーを持つ人がいるし、旅の間は何かを見よう知ろうと感受性のアンテナを高くしているから人の持つエネルギーを見逃さず多くの濃いドラマが生まれるのだと思う。ホルヘも広島の人も亡くなった日本人も皆夢を持った人なのだと思う。ホルヘはバイクも旅行も興味があったのにたまたまアルゼンチンの田舎に生まれてお金がなかったからその夢をバイク旅行者をサポートするという形に切り替えて共有しようとしているのではなかろうかと僕と彼女は勝手に結論つけた。彼はその後ドイツ人にも招かれてドイツを旅行したし、旅行者が本国へバイクを持ち帰るコストとバイクの価値を考慮して彼に寄付したバイクも持っている。夢は持ち続けて行動すれば叶えられる、或いは近づくのだと思う。

その夜のホルヘの家族や友人も含めたクリスマスアサードパーティーは最高のものだった。翌日は綺麗な市内を歩いて散策したが、6万人の町では情報が廻るのが早いのか何人かのすれ違うライダーが僕を見て挨拶してくれて気持ちが良かった。スイス人達と料理を作ったり夜の街にピザを食べに行ったりとのんびりと3泊してここを離れた。ありがとうホルヘ、そしてパキ&マルコ。