パンタナール湿原に思うこと


2008.3.19〜4.10 ブラジル
コルンバ → パンタナール湿原 → カンポグランジ → ミランドポリス → サンパウロ 
Corumba → Pantanarl → Campo Grande → Mirandopolis → SaoPaulo)


 パスポートにスタンプを押してくれる事務所はバスターミナルの中にあった。ターミナルの中には有名なパンタナール湿原のツアーなどを主催する会社の事務所が並んでいる。旅行ガイドは持っていなかったので情報を集めようと、その1つを覗いてみた。
 英語で説明してくれたのはスイスからここに移住したという中年の女性。湿原で見れる色んな動物やバックパッカー達をピックアップトラックの荷台に載せて湿原の道を走る様子などを収めたアルバムを見せてくれた。“観光客はここからツアーで行くしかないからバイクはここで置いていけばいいわ”という話をもう少しで信じるところだったが、冷静に考えれば2、3泊で数百ドルもするツアーが唯一の手段のわけが無い。“でもバイクでも行けるんでしょ?”と聞くと“4WDの車なら…”という事でバイクで行く事に決定。車が行ける所ならバイクなら絶対に行ける。

スーパーの買出しから帰ってくると、近くのおじさんから話しかけられた。サンパウロナンバーなので目立つからよく声をかけられる。“フラッシャーが無いと警察に捕まるよ”と忠告してくれたので教えられたバイク用品店で部品を買い、隣のメカニック屋で7年間ここで仕事をしているという男に取り付けてもらう。取り付け工賃2レアル(130円)だから自分でやるのがバカバカしかったし、彼がとても仕事を欲しがっていたので断る理由がなかった。外は猛暑で滝のように汗を流しながら作業してくれた。礼を言って金を渡すと、彼は笑顔で腹を壊しそうな水を僕にも薦めてくれた。もちろん彼の収入ではコカコーラなんて買えないし高価なツアーなど行ける筈も無い。そう思うと金持ちのツアー会社に金を落とさなくて良かったという気持ちと、地元の彼にも行けないパンタナール湿原へ行こうとしていることを少し後ろめたく思う気持ちがあった。

 街を出て湿原への入り口に入ると農場を左右に見ながら赤土のダートが続く。山を一つ越えると、そこに地平線まで続く世界最大の緑と水の湿原が広がっていた。道にはカピバラ達がたくさんいて近づくと水の中に潜って逃げてしまう。橋の上から見渡すとクロコダイルが水面に顔や背中を出して休んでいる。歩いて近づいてみると、水の中を体をくねらせながら悠々と泳ぎ去った。無数の見たことも無い鳥たちが木の上でガヤガヤと騒いでいる。鹿が道を横切る。大トカゲが草むらに逃げてゆく。夕暮れにハゲワシの大群が道路で死んだカピバラに群がる光景は恐ろしかった。キャンプできる場所を探しながら走ったが道路の脇は直ぐに湿原で見付からず暗くなるまで走った。ようやく農場を見つけておじさんに頼んでテントを張らせてもらった。滅多に見られないらしいけれどジャガーやピューマやコブラもいるので、番犬の居る庭で寝れるのは心強い。電池切れでライトも使えなかったので直ぐに眠りに落ちた。
 夜遠くで犬の鳴き声がして目を覚ました。断末魔の悲痛な叫びで長いこと続きやがて弱々しい叫びになり消えた。クロコダイルにでもやられたのだろうか。
 夜も早かったけれど朝も早かった。目の前の木の幹に、緑色の大きなインコの群れの巣があって耳をつんざく大声で一斉に鳴き始め、新しい1日が始まったことを教えてくれる。未だ日が昇り始めたばかりなのに太陽はじりじりと暑く、ムンムンと蒸している。快適な場所とはとても言えないけれど、こういう朝は生きている事への感謝の気持ち、幸福感が沸いて来る。
 昔ケニヤのマサイ族の村で迎えた朝の感覚が重複する。前日、マサイ族の子供がライオンに殺された。それでも残った者達は朝を迎え1日を精一杯生きる。日本の普段の生活では朝を迎えることは当然なことだと思って明日や来年や、人によっては老後の事を考える。けれどもそれは幻に過ぎない。動物にとっても人にとっても、生きるということは毎日薄氷の上を歩くような奇跡の連続だという事を思い出させてくれた。